悲劇的悲愴

新日本フィルハーモニー交響楽団
第469回定期演奏会 サントリーホール・シリーズ
指揮:インゴ・メッツマッハー


ブラームス/悲劇的序曲
ハルトマン/交響曲第6番
チャイコフスキー交響曲第6番ロ短調《悲愴》

メッツマッハーはもっと強面でワイルドな人かと思っていたが,背筋の伸びた濃紺の燕尾服姿は非常にダンディで,アカデミー賞の司会でも始めそうな雰囲気だった。シリアスな曲でもにこやかかつ表情豊か,棒を持たない魔法使いのような指揮は,ゲルギエフを洗練させたような感じ(?)。
悲劇的序曲の一音目からして深い音を自然と引き出していた。こういうプログラムにあっても集中力の高い悲劇的序曲に感心。
メッツマッハー得意のハルトマンは,「楽団始まって以来の難曲」だったらしく,トランペットの譜面も黒いとかなんとか。ファゴットソロから始まるのは《悲愴》を意識しているのだろうか。寝不足のため意識が保てなかったのと,ステージが近く全体像が掴めなかったのは残念だったが,とにかくティンパニが大暴れ,弦楽器はひたすらガガガガと迫ってくるという印象。聴き疲れしそうなところを絶妙なコントロールでしなやかさを保っていた気がする。是非全集を聴いてみたいが,録音では立体感は減じてしまうんだろうなあ。
悲愴がまた素晴らしい。抑えめから開放していくような弦の旋律の歌わせ方が絶妙。崔さんがコンマスの時は弦の統率が凄い気がする。凄まじい第3楽章から,咳ばらいの間も与えず終楽章へ。これだけ泣ける悲愴が聴けるとは。あとでツイッターに流れきた感想には「ドイツ的!」というのが多かった。そうか,これがドイツ的というやつなのか…。
悲愴は,自分にとってやや享受にとまどう複雑な作品である(ブラ1もそうだったけど克服されてきた)。大好きなことは間違いないものの,完成度では5番とかのほうが上だと思うのですね。うまく表現できないけれども,第1楽章の主題間の楽想の「揺れ」というか,分裂的性格(楽章間についても同様)の扱いについて指揮者の主観を過度に要求している感じがするので,聴く方も船に揺られるような状態で神経質になるというか…。
久々に聴いて思ったところとしては,第1楽章は声のないオペラ的だし,なによりロメジュリの世界に近いですね*1。最後明らかに人が死んで弔われてる。背後に標題性を連想してしまう分,その後に続く三楽章をどう捉えるかが難しい。
などと言いつつ,結局のところ昔から第3楽章が大好きです。泣けるのは第4楽章ですが,哀しさにいたたまれなくなるのは直前の第3楽章終盤ですよね。

*1:e-ma的タームで言えば「シによる浄化」